蔡 彼らのようなスタイルでは、「バックドロップ」みたいな硬派なアメカジショップには入れなかったと思う。だから、当時を再現するようなイラストで、ハンティング・ワールドやルイ・ヴィトンのバッグに、チペワのエンジニアブーツやニューバランスを合わせちゃうようなスタイルを見ると、ちょっと違和感があるんですよ(笑)。
なるほど?! 当時の渋カジとコアなアメカジとは、ちょっと毛色が違っていたんですね。確かに「バックドロップ」をはじめ、当時は怖いお店が多くて、テイストの違うお客さんは露骨に邪険にされていましたよね(笑)。
蔡 あくまで自分の見た風景をもとにした記憶ですよ(笑)。その頃はすでに銀座にある『POPEYE』編集部がベースだったので、四六時中渋谷原宿界隈にいるようなこともなくなっていましたし。
でも、『POPEYE』では1989年に渋カジ特集をつくっていますよね?
蔡 あれは当時の編集長の号令でつくったのですが、実をいうと、そんなのもうみんなやってるじゃん、という感覚でした。その頃からすでに、雑誌よりもストリートのほうが早かったんです。1989年はその端境期だったと思いますね。
それは意外です。その頃の蔡さんは、ニューバランスの『1300』の火付け役になるなど、読者を熱狂させる大ヒット企画をガンガン飛ばしていた印象がありますが。
蔡 あれは確かにまだ誰も履いていなかったです。広尾の多田スポーツで3万9000円で売っていたものを、清水の舞台から飛び降りる気持ちで買って、本当にいいと思ったから原稿にしたわけで、そこには全く嘘がないですよね。だからこそ、読者も面白がってくれたんだと思いますよ。