HUNTING WORLD

SPIRIT

ハンティング・ワールドを語るうえで、忘れてはならないのが創設者のロバート・M・リー、通称ボブ・リーだ。リー自身が探検旅行の際に使用していた既成のアウトドア用品に不満を抱き、自ら製品を開発したことが、ハンティング・ワールドの始まりになる。

1928年、ボブ・リーは米国・ニューヨーク州ロングアイランドの田園地帯で生まれる。豊かな自然に恵まれたこの地でボブ・リーは、乗馬、射撃、フィッシングを存分に楽しむ少年時代を送る。彼のアウトドア・マインドはこの頃に養われたともいえるだろう。9歳のときには、フライのつくり方を覚え、12歳のときにはプロのフライタイヤーになっていたというのだから驚きだ。またライフルについても、10歳で独自の照準システムを考案、14歳の頃には超高速ライフルカートリッジを設計・製作していることから、その類まれなる才能とイノベーターとしての片鱗をうかがい知ることができる。

1962年、アンゴラにあるカランドゥラの滝の前で友人と記念撮影をするボブ・リー。

1962年、アンゴラにあるカランドゥラの滝の前で友人と記念撮影をするボブ・リー。

1955年、タンザニアとウガンダへ初めて訪れると、すぐにボブ・リーはアフリカに魅了される。59年に、アンゴラを拠点にサファリツアー会社を設立し、アフリカでのビッグ・ゲーム・ハンティング、撮影旅行、探検旅行などをアテンドするビジネスをスタートさせた。またボブ・リー自身が先頭に立ち、野生動物調査を計画・実施。この調査に基づき、アフリカで初めて猟鳥獣類管理プロジェクトが事業化され、密猟が激減し、野生動物の数が増加したという大きな実績を残す。さらに、同事業により現地の人々の雇用機会が生まれ、アフリカでの同種事業の模範となる等、さまざまな面でアフリカに高く貢献した。

酷暑のアフリカの自然の中で、探検家としての生活を続けるうちに、伝統的なアウトドア用品に不満を感じ始めたリーは、少年期に養った豊かな経験を生かしイノベーションを起こす。自身の探検旅行を快適にするために、テント用具一式からサファリカーにまで及ぶ大規模な改良を行った。そして、リーのキャンプはアフリカで最も効率的に調査を進められるチームとして成長し、探検家やハンターの間でリーの評判が高くなっていった。
その後、故郷のニューヨークに戻ったリーは、それまでの経験をもとに65年、ハンティング・ワールド社を設立し、オリジナルデザインによるアウトドア用品の生産管理と商品流通をスタートさせた。

1980年、中国の天山山脈、パミール高原で探検を行ったボブ・リー。

1980年、中国の天山山脈、パミール高原で探検を行ったボブ・リー。

ハンティング・ワールド社を創設したあともボブ・リーのアウトドア・マインドは尽きることなく、80~81年、野生ヤギの調査のために「世界の屋根」と称される中国・パミール高原の秘境を二度にわたって探検する。この探検旅行はいずれも標高約6,000mの高地を探検する過酷なものだった。さらに中国・黒竜江省の招聘によりシベリア国境付近の同省最北東部にも遠征。伝説の森林、満州亜寒帯林をトレッキングしながら満州ワピチやノロジカ等の野生動物の調査を行い、同省へ猟鳥獣類保護政策を提案している。ボブ・リーはこうした探検旅行には、すべて現地の通訳やガイドを雇い、必要最低限の人数と規模でキャラバンを組んでいたという。そして苛酷な旅を続けるためにボブ・リー自身の体験を生かして製作され、改良し続けられてきたことが、ハンティング・ワールドの製品がハイクオリティであることに大きく関わっているのは揺るがぬ事実だ。

ボブ・リーが人生を懸けて続けた旅とは、人間が自然と共存していくための答えを探すものであり、その最終目的は自然保護であった。探求者としての思いは、ハンティング・ワールドのシンボルマーク「牙のない仔象」として表現された。これは、創設のきっかけとなったアフリカ旅行にちなんでいると同時に、絶滅危惧種の保護を表現している。

彼のアウトドアマンとしての経験と知識、こだわりに対する飽くなき欲求が、彼自身を冒険へ駆り立てる原動力となった。そのスピリットはハンティング・ワールドの製品に、そしてブランドそのもののDNAとして、いまも脈々と継承されている。

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