BORNEO CHARITY PROJECT 15th ANNIVERSARY
BORNEO CHARITY PROJECT 15th ANNIVERSARY“命をつなぐ活動”を支援する、
チャリティープロジェクト

私たちの思いを紡いで
未来を共につくる。

photo by Yusuke Abe

「自然との共生」をテーマに掲げた創設者、ボブ・リーの想いを受け継いで、
私たちが2008 年から始めたボルネオでの環境保全活動への支援は、今年で15周年を迎えました。
その環境保全活動をリードする認定NPO 法人『ボルネオ保全トラスト・ジャパン(BCTJ)』理事長の
黒鳥英俊さんに、ボルネオでの保全活動の現状や、未来に向けて私たちができることを伺いました。

15年前に始まった
ボルネオの環境保全活動

 動物と人が共に生きる社会をつくり未来につなぐことを目指して、認定NPO法人『ボルネオ保全トラスト・ジャパン(BCTJ)』は2008 年に設立されました。BCTJ の活動拠点であるボルネオは東南アジアの赤道直下にあり、三つの国に属する世界で3番目に大きな島です。面積は日本の約2倍で、私たちは島の北部に位置するマレーシアのサバ州で活動を行っています。

 ボルネオの熱帯雨林は288 種類以上の哺乳類をはじめ、たくさんの両生類や爬虫類、鳥類、昆虫、植物が確認されている、世界でもまれに見る生物多様性の宝庫です。1500 万年前からその姿をほとんど変えずにきましたが、1970 年代になって世界の人々の暮らしを支えるパーム油を生産するためにアブラヤシという植物のプランテーション(農園)開発が拡大して、50年間でサバ州全体の約40 パーセントもの熱帯雨林が消失してしまったともいわれています。

上空から見たプランテーションの様子

 このアブラヤシ・プランテーションの急速な開発に伴って、ゾウやオランウータンなどの野生動物の行動範囲が制限されてしまったため、これらの動物が絶滅の道をたどらないようにと始まった取り組みが「緑の回廊プロジェクト」です。サバ州を流れるキナバタンガン川沿いに残る熱帯雨林を所有者から買い取って、開発により分断されつつある森林保護区を流域沿いでつなぐことで動物たちの移動経路を維持しています。これにより動物、植物、微生物が複雑に絡み合う生態系が守られて、生物多様性の保全につながっています。

 それに加えて、「恩返しプロジェクト」も行ってきました。川沿いを移動中のゾウの群れがプランテーションに行く手を遮られてそのまま入り込み、アブラヤシの葉や幹を食べるため被害をもたらす害獣として扱われて危険な目に遭うこともあります。そこで、プランテーションに入り込んだゾウを保護して、野生に返せない場合は施設で飼育しています。

プランテーションに迷い込むボルネオゾウの群れ

コロナ禍下で
できることを実践

 2020年に新型コロナウイルス感染が世界中に拡大するようになってからは、現地の政府機関と一緒に活動することが多いBCTJも影響を受けました。現地スタッフがオフィスに出勤できなくなったり、保護区にする土地を新たに見つけるための現地調査が移動制限によって進められなかったりと、「緑の回廊プロジェクト」は停滞しました。一方で「恩返しプロジェクト」は、保護施設にスタッフが住み込んでゾウの世話をしているため、活動を継続することができました。

 現地での活動が制限されてしまったため、私たちは日本国内での活動を充実させることに注力して、ボルネオでの活動を報告するイベントや、日本と現地の小学生がボルネオの未来を共に考えるワークショップをオンラインで開催してきました。また最近力を入れ始めた取り組みとして、公益社団法人『日本動物園水族館協会(JAZA)』と連携した「動物園によるボルネオ保全プロジェクト」があります。それは提携した全国六つの動物園と一緒に、ボルネオにおける生物多様性保全活動をさまざまな方法で支援していくプロジェクトです。近年、野生動物の生育環境が悪化して動物園による種の保存の役割が重要視されるようになってきたことから、「ボルネオ保全プロジェクト」では動物の飼育方法や施設の造り方、動物に対する医療などの動物園が持つ技術の供与や、現地スタッフの教育に対する支援を行う予定です。実は2018 年にプロジェクトはスタートしましたがコロナ禍で一時中断してしまい、今年の春から活動を再開しています。

 また私たちは、これまでの「緑の回廊プロジェクト」で購入してきた土地をサバ州政府に寄贈して、保護区として公的に土地を保護する取り組みも進めています。それまでに購入した93ヘクタール、38 区画を州政府に寄贈する手続きを2019年に開始しましたが、いざ始めてみるとそう簡単には進みませんでした。現地では私有地を寄贈するという前例がそもそもなく、適正な手続きについて一から協議する必要が生じたのです。協議の途中で新型コロナウイルスが流行して手続きがストップしたあげく、その間にマレーシアでは総選挙が行われて、手続きに関わっていた州政府機関のトップが交代するといったこともありました。今年になって行動制限が大幅に緩和されて仕切り直しをすることができ、今は現地の進捗を見守っている段階にあって、そうした土地が保護区となる道筋がようやく見えてきました。このまま順調に進めば、プロジェクトの開始以来大きな目標の一つだった「獲得地の保護区化」が実現して、より安全な環境を動物たちに残すことができます。2019 年以降に購入した土地についても順を追って保護区化を進めていく予定です。海外渡航が再開されてスタッフとも現地で会えるようになり、直接会話を重ねることの重要さをあらためて感じています。現地の人々と一緒に活動を積極的に推し進めていきたいーー今はそんな気力にあふれています。

コロナ禍を経て、現地スタッフとの直接のふれあい

動物と共にあった半生と
ボルネオでの決意

 私は北海道函館市の出身で、のどかな環境で育ちました。父親が仕事で大学の練習船に乗って毎年ボルネオに行っていたことから、私が高校2年生のときに父がカニクイザルを持ち帰りました。カニクイザルを自宅で飼ううちに大好きになってサルに関心を持つようになり、大学院で学んだ後に1978 年から東京都恩賜上野動物園や多摩動物公園に勤務して、おもに大型類人猿の飼育を担当してきました。多摩動物公園でオランウータンの飼育を担当していたとき、ボルネオでオランウータンの研究をしているイザベル・ラックマン博士が視察に来られました。高さ15メートルのタワーに架けられた現地と同じ川幅のロープを渡るオランウータンの姿を見た博士から、「同じようなものをボルネオにも造ってほしい」と依頼されました。聞けば、プランテーション開発とともに生息地が奪われて、川岸に追いやられてしまったオランウータンが孤立しているとのこと。オランウータンは本来水を怖がり、川にはワニなど危険な動物がいることを知っていて泳いで渡ることはないため、オランウータンを対岸の大きな森に移動させる手段が必要でした。オランウータンが川を渡れる橋を設置するため、2007 年に私はボルネオを訪れました。

プランテーションの様子

 初めてのボルネオで、私はショックを受けました。上空からは緑に覆われた豊かな島に見えましたが、実はその緑は、車を何時間走らせても続くアブラヤシのプランテーションだったのです。動物園で飼育されている動物は今となってはそのほとんどが動物園生まれになりましたが、ワシントン条約(絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)が1973 年に採択される以前は、野生で捕獲された動物がほとんどでした。長らく動物園に勤めていた者として、親と引き離して連れてきてしまった動物たちの故郷が大変な状況に陥っているのを見ると、なんとかしなくてはいけないと強く思い、私自身の気持ちがボルネオに向き始めました。これをきっかけに、2008年に設立されたBCTJに私は理事として関わることになりました。

動物から学べる
たくさんのこと

 私は動物が好きで、動物と関わり続けてきました。ゾウにしてもオランウータンにしても、見ているといろいろなことを考えさせられます。相手を思いやる気持ちや命の大切さを実感として知るばかりでなく、知的好奇心を自ら育む情操教育にも役立つと思います。

 人間は、類人猿と共通の祖先から枝分かれて進化しました。人は先にオランウータンと分かれ、次にゴリラと分かれて、最後にチンパンジーと分かれました。オランウータンにしてもゴリラにしてもとても穏やかな動物で、優しい心を持っているのが分かります。一方で、最後に人と分かれてその先さらに別の道に進化していったチンパンジーは、文化や知覚、認知などにおいて人とかなり共通する行動が見られて、短期記憶においては人よりも優れています。動物園でも、群れの中でどうやったらうまくやっていけるかと自分の役割を考えて、つねに相手を見ながら生きている動物です。しかし問題解決に際しては複雑かつ集団で暴力的になることが多く、ストレートな解決を行うオランウータンやゴリラの方が私はどちらかというと好きです。

 オランウータンは一つのものを1 時間ずっと見ているような慎重なところがあります。飼育時はこちらだけが焦っていてもダメで、何かを考えているのかがよく分かるようになってからは向こうのペースに合わせるようになりました。飼育係は担当する動物に似ると昔からよくいわれますが、私自身もペースがオランウータンに似てきて気が長くなり、日常でも怒らなくなりました。現代ではむしろ、人の方がペースが速く、しかもどんどん速くなっているようにも感じています。

 あまり知られていませんが、動物園、水族館、植物園は「生きたものを展示する場」であると位置付けられ、博物館に相当する施設です。動物園は、一生のうちに「子どもの時、デートの時、子どもが生まれた時、孫ができた時」の4 回しか訪れない場所なんていわれていますが、もっと動物園に来ていただきたいと思います。みんな違った生き方をしている動物たちを見て、知って、そして動物たちのふるさとに思いをはせるーー動物園はそんな場所でありたいと願っています。

小さな力でも
集まれば大きな力に

 日本で暮らしていると、約4000キロメートル離れたボルネオで起きている環境問題は自分たちには関係のない話のように聞こえてしまい、わざわざ保全活動に参加しなくてもいいのではーーという気持ちになるかもしれません。しかし、ボルネオの熱帯雨林と日本は無関係ではありません。ボルネオのプランテーションで栽培されているアブラヤシの実から作られるパーム油は、価格が安くて安定供給が可能であることから、新興国から先進国まで世界中の国々が輸入しています。そして日本も例外ではないのです。

 日本に輸入されるパーム油は、私たちが毎日のように食べる食品や生活用品に使われています。たとえば、インスタント麺、調理済み冷凍食品、スナック菓子の揚げ油や、マーガリンやショートニングの原料として、チョコレートやアイスクリーム、カレーのルーなどの食品の材料として、また洗剤やシャンプー、歯磨きペーストなどの日用品にも使われています。パーム油由来のものを使わない日はないーーそんな生活を私たち日本人は日々送っているのです。

 一方、パーム油の産地であるボルネオでは、プランテーション開発のために熱帯雨林が伐採され、野生動物が生息地を奪われ、生物多様性が損なわれて、環境が刻一刻と変わってきています。この環境を残すための対策を今すぐに取らないと次の世代に残すことができなくなり、若い人たちは明るい未来を見ることができなくなってしまいます。「100 円を寄付する」といった小さなこともとても大切です。一見些細に思われることでも、それが重なれば大きなアクションになります。そのアクションを周囲の人にも伝えて輪を広げていくことで、さらに大きな力に変わっていきます。私たちBCTJ もみなさんと一緒に輪を広げて、これからも一歩ずつ活動を進めていきたいと考えています。

日本で廃棄された消防ホースでつくった吊り橋

認定NPO法人『ボルネオ保全トラスト・ジャパン(BCTJ)』理事長 黒鳥英俊

認定NPO法人『ボルネオ保全トラスト・ジャパン(BCTJ)』理事長 黒鳥英俊

1952年生まれ、北海道函館市出身。大学院を修了後、1978年より東京都恩賜上野動物園や多摩動物公園に勤務しておもに大型類人猿の飼育を担当する。2008年にBCTJ理事に就任し、2010年より上野動物園で学芸員として教育普及や広報業務に携わりながら、京都大学野生動物研究センターで動物園でのオランウータン飼育の研究に取り組む。動物園を退職した2016年以降、日本オランウータン・リサーチセンター代表理事や東南アジア動物園水族館協会(SEAZA)霊長類部門TAGグループメンバー、大学や専門学校の講師を務める。2022年よりBCTJ理事長に就任。著書に『オランウータンのジプシー』(ポプラ社)、『モモタロウが生まれた』(フレーベル館)など多数。

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