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「バチュー・クロス」を巡る冒険

Collaboration with WEB MAGAZINE 『ぼくのおじさん/MON ONCLE』

「バチュー・クロス」を​巡る​冒険

Collaboration with WEB MAGAZINE
『ぼくのおじさん/MON ONCLE』

Vol.1 編集人 山下英介

文化的遺産としての、ハンティング・ワールド。

文化的遺産としての、
ハンティング・ワールド。

山下英介

1976年生まれのぼくにとって、ハンティング・ワールドとは、親父世代のバッグブランドであった。まだメールもSNSも存在せず、国際電話料金も高額だった1980年代半ば、海外に単身赴任していた父との唯一のコミュニケーション手段は、たまに届くエアメールと、そこに収められた記念写真くらいだった。

山下英介

エジプトのピラミッド、ヨルダンの死海、イタリアのポンペイ遺跡といった観光名所を背景に、真っ黒に日焼けした顔にティアドロップのサングラスをかけ、巨大な襟のスーツを身につけた父親の姿は、こども心にすこし畏怖の念を感じさせるものだったが、その装いとセットになっていたのが、いわゆるバチュー・クロスを使ったショルダーバッグ、『キャリーオール』であった。

バチュークロス

1976年生まれのぼくにとって、ハンティング・ワールドとは、兄貴世代のバッグブランドでもあった。〝渋カジ〟と呼ばれるファッションが隆盛を迎えた1980年代後半、地方都市に住んでいた従兄弟は、今までのツッパリファッションから突如アメカジスタイルに転向。ダブルブレストの紺ブレに真っ白なTシャツ、ストーンウォッシュのジーンズというスタイルに『キャリーオール』を合わせて、近所のコンビニに屯するようになる。もしかしたら、本場の〝渋カジ〟と較べたら垢抜けない装いだったのかもしれないけれど、色褪せたブルーデニムとモスグリーンのバチュー・クロスというコントラストは、思春期を迎えたばかりの少年にとっては、アメリカの匂いがプンプン漂うものだった。 つまり1976年生まれのぼくにとって、ハンティング・ワールドとは、〝自分世代〟のバッグブランドではなかった。常に仰ぎ見る存在だからこそ、憧れたり嫌いになったりを繰り返し、しかし絶対に無視することはできない。特別なブランドであり、バッグなのだ。

山下英介

そんなハンティング・ワールドの『キャリーオール』を、ぼくが初めて手に入れて、ようやく〝自分世代〟にしたのは、40歳を迎えてからのこと。父が楽しんでいた1970年代後半~80年代前半のトラッドスタイルが再び新鮮に見えてきた、というファッション的な理由によるものなのだが、このバッグを持って歩いていると、行く先々で話題が沸騰。面白いことに、最近では20代の若者に、憧れ混じりに声をかけられることも増えてきた。彼らの姿は、まるで80年代の〝渋カジ〟だ。

山下英介

50年という歴史のなかで、様々な世代やそのファッションと結びつき、ひとつのカルチャーを紡いできたハンティング・ワールドのバチュー・クロス。それはもはや、一種の文化的遺産と言ってもいいだろう。ぼくはその物語を紐解き、次世代に継承することに、これから挑んでみたいと思っている。

山下英介

1976年埼玉県生まれ。大学卒業後、雑誌編集の世界へ。
『LEON』や『MEN’S EX』編集部に在籍したのち、2009年に『MEN’S Precious』の創刊に携り、2020年までファッションディレクター、クリエイティブディレクターとして活動。 現在はフリーエディターとして月刊『文藝春秋』などを手がけるほか、2022年にWEBマガジン『ぼくのおじさん/MON ONCLE』を創刊。

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