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「バチュー・クロス」を巡る冒険

Collaboration with WEB MAGAZINE 『ぼくのおじさん/MON ONCLE』

「バチュー・クロス」を​巡る​冒険

Collaboration with WEB MAGAZINE
『ぼくのおじさん/MON ONCLE』

Vol.2 作家 松山猛 そのルーツはパリにあった?

そのルーツはパリにあった?
N.Y.ブランドとしてのハンティング・ワールド

文化的遺産としての、
ハンティング・ワールド。

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____ハンティング・ワールドとの出合いはいつだったんですか?

松山 1975年に、読売新聞社から『Made in U.S.A catalog』が出版されたでしょう?あれをつくったのは、のちに『POPEYE』を創刊するメンバーだったんだけど、石川次郎さんが率いるそのチームが、日本で初めてN.Y.の本店を取材したんだよ。

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___『Made in U.S.A catalog』の170ページに載っていますね。場所も五番街近くの一等地だし、〝ハンティング〟というイメージからすると、店構えはかなり高級な雰囲気ですね。創業者のボブ・リーさんもスーツなんか着て。

 松山 今にして思えば新しいお店だったわけだけれど、すでにN.Y.の老舗といった雰囲気の、クラシックなお店だったよ。『Made in U.S.A catalog』で見る印象よりは、カジュアルだったかな。ぼくが1976年に初めてお店を訪ねたときは、前年の取材のおかげで大歓迎してもらったんだけれど、ボブ・リーさんはもともとサファリの世界では有名人だったから自伝なんかも出していて、お土産に本とサファリジャケットをもらったの。あれは人民服みたいなつくりで、不思議だったなぁ。

___どこでつくっていたんでしょうね?

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松山 彼はその頃世界中を旅していたから、いろんなところにコネクションと生産背景があったんだね。有名なハンティングバッグもフランスとの深い関わりを感じさせるし、まだ一店舗でビジネスの規模としては小さなブランドだったから、それほどシステマチックではなかったんだろうな。

___えっ、フランスですか? それは知りませんでした!

松山 あの頃はパリのセーヌ川でも釣りをしている人が多くて(笑)、川沿いには釣具屋さんもあったんだけれど、そこで「サック・ド・ぺッシェ」と呼ばれていたバッグが、まさに今でいうバチュー・クロスの『キャリーオール』によく似ていたんだよ。ハンティング・ワールドよりは廉価っぽいつくりだったけど、生地の色味や質感が近かった。おそらくボブ・リーさんは、バチュー・クロスの開発の際に、このフランス製のバッグも参考にしたんじゃないかな。

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___ボブ・リーさんなき今、真偽のほどを確かめるのは困難ですが、それはスクープですね! 確かに『キャリーオール』のデザインには、ヨーロッパのフィッシングバッグからの影響が伺えますし、頷ける話です。ちなみに日本への上陸は『Made in U.S.A catalog』以降ということになるんですか?

 松山 1970年代前半には、東京で開催されていた「ニューヨークコレクティブ」みたいな合同展示会に参加していたから、そこで目にしてはいたよ。もちろん『Made in U.S.A catalog』のチームも、予めその存在は知った上で取材を申し込んだわけだし。実はあの頃、広告代理店マンに代表される時代の先端を行っていた連中は、すでに東京とN.Y.を行き来していて、そこでハンティング・ワールドを使い出しているんだよね。

___なるほど、広告マンから広まったわけですね!

松山 当時はブランドものといえば、パリ一辺倒。1972年に原宿にオープンした商業施設「パレ・フランス」に、カルティエに代表されるブランドがたくさん出店し始めたの。まだルイ・ヴィトンもあまり見なくて、日本ではセリーヌが一番人気だったかな。そんな中でも早い人は、N.Y.でハンティング・ワールドを買ってくるという感じ。

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___その頃、松山さんはどんなバッグを使っていたんですか?

松山 水兵さんが持っているボンサックとか、メッシュのバッグとか、だったかなあ。ロクなのを持っていなかった。なにしろ当時は今と違って、日本にはカジュアルな格好に合わせる上質なバッグがほとんどなかったんだよ。だから海外に行けるようになってから、ハンティング・ワールド系のバッグを買うようになったわけ。ぼくたちのような仕事をする上では、とても便利でしょう?

___そうか! 確かに昔はビジネスマンならブリーフケース、山登りならリュックサック、みたいな感じで、上質なカジュアルバッグという概念がありませんでしたね! 特にメンズにおいては。ハンティング・ワールドのバッグは、そういう意味で新しい市場をつくったと言えるんでしょうね。

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松山 もともと欧米には〝サファリ〟というカルチャーがあったでしょ? つまりお金持ちがアフリカをはじめとする秘境に行って観光をしたり、狩猟を嗜んだりするという。フィレンツェには、貴族たちが自分達の遊び道具をつくるために立ち上げた、アルファンゴという工房があったし、ロンドンには猟銃やコートで有名なジェームス・パーディがあった。どの国にもそういうブランドがあったんだよね。で、当然そういうスポーツを楽しむためには、銃や道具を包む袋物や、バッグが必要になる。

___そうか、昔はハンティングもスポーツの一種でしたもんね! 今の感覚で言うと、いわゆる高級アウトドアということになるのかもしれませんが。

松山 そうした中でも、ハンティング・ワールドは狩猟の文化が下火になった1965年に創業したことと、N.Y.生まれのブランドという特殊性があった。

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___アメリカブランド、というよりN.Y.ブランドという感覚なんですかね?

松山 そう。N.Y.はヨーロッパの飛び地と言われていたからね。1970年代は、街ゆく人もほかのアメリカの都市とは違って、まだみんなトレンチコートを着て、帽子を被っていたよ。ぼくたちが『POPEYE』でレポートした1970年代のスポーツ&アウトドアブームって、西海岸から発信された文化だったでしょ? あれはベトナム戦争が終わった解放感が影響しているんだと思っているけれど。そこから生まれた数々のブランドに対して、ハンティング・ワールドは数少ないN.Y.のブランドだった。だからほかのアメリカブランドとは、まったくニオイが違うんだよね。1970年代後半以降になるとニューヨーク・トラッドというムーブメントが起きるんだけど、その先駆けと言ってもいい。

___スポーティではあるけれどラグジュアリーで、ヨーロッパのニオイも感じさせるというか。ほかのアメリカンブランドって、もっと大衆的だもんな・・・。確かに似たような立ち位置のブランドはほかにないし、フランスとの縁も頷けますね。

松山 だから、ほかとはちょっと図抜けているんだよね。

松山猛

1946年京都生まれ。ザ・フォーク・クルセダーズやサディスティック・ミカ・バンドなどで作詞家として活躍したのち、編集者に転身。
POPEYEやBRUTUSといった雑誌の立ち上げに携わり、日本人のファッションやライフスタイルシーンを切り拓く。
ファッション、機械式時計、中国茶、カメラなど、世界中のクラフツマンシップに精通している。

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